タイシンは日本体育大学、大阪体育大学、順天堂大学、筑波大学などの体育系大学受験専門予備校です。

体育進学センター 資料請求・お問い合わせはこちら
タイシン携帯サイトURL
大学受験に関するお得な情報をお届け致します
アカホンプレゼント! ログイン 新規登録する
合格への秘伝 大学別合格基準
 リンク
 採用情報
 サイトマップ
トップへ戻る
体育大学受験を目指す
生徒を支える皆様へ
体育大学合格を目指せ!
会社概要
代々木校(本科・現役科)
〒151-0053
渋谷区代々木4-26-3
TEL:03-5351-6301
横浜校(現役科)
〒223-0057
横浜市西区浅間町1-13-1
TEL:045-316-6055
大宮校(現役科)
〒330-0854
さいたま市大宮区桜木町1-9-22
TEL:048-631-3622
名古屋校(本科・現役科)
〒453-0018
名古屋市中村区佐古前1-26
TEL:052-486-1671
大阪校(本科・現役科)
〒552-0012
大阪市港区市岡1-13-5
TEL:06-6572-5521
新講師紹介 新宅 永灯至(しんたく ひさとし) 【経歴】 ...

新講師紹介 新宅 永灯至
新講師紹介

新宅 永灯至(しんたく ひさとし)

【経歴】

  • 生年月日:昭和32年(1957) 12月 20日
  • 出身大学:日本体育大学
  • 職   歴:ヱスビー食品株式会社
    三井住友海上火災保険株式会社
    株式会社ハーモニック
    体育進学センター

【おもな競技歴】

競技会
種目
記録
 オリンピック大会
1980年 第22回 モスクワ 3,000m障害
5,000m
日本代表
1984年 第23回 ロサンゼルス 10,000 日本代表
1988年 第24回 ソウル マラソン 日本代表
 アジア大会
1978年 第8回 バンコク 3,000m障害 優勝
1982年 第9回 ニューデリー 5,000m 優勝
1986年 第10回 ソウル 10,000m 優勝
 国際大会
1980年 DNガラン国際陸上 3,000m障害 2位(当時日本記録)
1981年 世界記録挑戦競技会 30,000m
15,000m
2位(当時世界記録)
   (当時日本記録)
1982年 8ヶ国陸上 5,000m 2位(当時日本記録)
1984年 唐津10マイルロードレース   優勝(現在日本記録)
1987年 オスロ国際陸上 3,000m 8位(当時日本記録)
1989年 全日本実業団ハーフマラソン   優勝(当時日本記録)
 国内大会
1978年 東京箱根間往復関東大学駅伝競走大会 第4区 優勝
1979年 東京箱根間往復関東大学駅伝競走大会 第5区 準優勝
1980年 東京箱根間往復関東大学駅伝競走大会 第2区 優勝
1977年 日本陸上競技選手権大会 3,000m障害 優勝
1978年 日本陸上競技選手権大会 3,000m障害 優勝
1979年 日本陸上競技選手権大会 3,000m障害 優勝
1980年 日本陸上競技選手権大会 3,000m障害
5,000m
優勝
優勝
1981年 日本陸上競技選手権大会 5,000m
10,000m
優勝
優勝
1982年 日本陸上競技選手権大会 3,000m障害 優勝
1983年 日本陸上競技選手権大会 3,000m障害
5,000m
優勝
優勝
1984年 日本陸上競技選手権大会 10,000m 優勝
1985年 日本陸上競技選手権大会 10,000m 優勝
1985年 福岡国際マラソン   優勝

 

(オリンピック ソウル大会/写真提供:アジャンシー・ショット) 


Q1:陸上を始めたきっかけは?

小学校5年生の時、校内マラソンで16位。悔しくて1年間週末に練習した結果、翌年では3位になりました。まだまだ強くなりたいと思い、中学では陸上部に迷わず入部しました。

Q2:どんな高校生活を送りましたか?

 朝は7:00に自宅を出て、2時間かけて通学しました。練習が終わって自宅に着くのは毎日20:30〜21:00。夕食を食べて寝るだけの生活でした。

 また、国鉄(現JR)のストライキ時は、クラブ顧問の先生宅に寝泊りするほどの陸上中心の生活。その結果、インターハイ1,500mSC、国体5,000mに優勝することができました。勉強もしっかりやりましたよ。往復の電車の中ですが…。

Q3:なぜ体育大学を希望したのですか?

 体育は好きでしたが、あまり得意ではありませんでした。しかし、顧問の先生が2人とも日本体育大学出身ということもあり薦められました。そして、走りたかった箱根駅伝は、他大学が強かった時代ですが、強い大学を打ち負かして優勝したいと思いました。

Q4:大学時代の思い出は?

 関東IC3,000mSC4連覇、全日本ICでの優勝。また日本選手権やアジア大会(バンコク)での優勝、海外(ヨーロッパやオーストラリアなど)の競技会に参加することができ、外国選手のパワーに驚いたり、貴重な体験をすることができました。

 また箱根駅伝では、在学中3回走り、優勝2回、準優勝1回と成績を残すことができましたが、区間賞をとれなかったのが心残りです。1年生の時も優勝しましたが、補欠だったので実感があまり湧きませんでした。このときの悔しい気持ちが、その後の競技に大きく左右しました。
  そして、全国にたくさんいる大学時代の友人が一番の財産です。

Q5:オリンピックの思い出は?

 モスクワ大会(1980年 日本不参加)、ロサンゼルス大会(1984年)、ソウル大会(1988年)と3回すべて違う種目で代表に選ばれました。

 モスクワ大会は政治的な判断で不参加に。今思い起こしてみると、あの時参加できていれば、その後のオリンピックに経験を生かすことができたと思い、残念でなりません。

 ロサンゼルス大会では、2か月前に故障したこともあり、10,000mの予選通過は無理だろうと思っていたので、初めてのオリンピックを満喫しようと考え、スタジアムの中からスタンドを1周見渡しました。日の丸の多さに驚き、たくさんの人が私を後押ししてくれ、難しいと思っていた予選を通過することができました。

 ソウル大会では、マラソンということで気合いが入りすぎ、自分でトレーニングを考え一生懸命トレーニングしたのですが、結果を残すことができませんでした。指導者の大切さを痛感したオリンピックでした。

 多くの人に応援していただき大変感謝しています。日本代表として大舞台で走ったことは、私にとって、生涯忘れることのできない大きな財産です。

【メッセージ】

 「若いころに流さなかった汗は、老後、涙となって流れ出る」 というように、若い諸君、今こそ汗をしっかり流そう。その一粒一粒が、君たちの財産になります。

 夢は、誰からも与えてはもらえません。掴み取るものです。夢の実現のために、自分を信じて、目標をしっかり持って、今やらなければならないことをしっかりやろう。タイシンの先生方みんながあなたを応援します。

 がんばれタイシン生! がんばれ体育大学受験生! 夢を掴み取れ!

免責事項・著作権に関して | プライバシーポリシー | お問い合わせ |
Copyright (c) 2006 Taiiku Shingaku Center. All Rights Reserved.