
本校の土方です。
前回ブログを担当したのは、3月でした。そのとき、タイシン本校がある幡ヶ谷の地名の由来(源義家と旗洗池)について書きましたが、今回も幡ヶ谷についてです。私が好きな幡ヶ谷のスポットについて書こうと思います。
私が幡ヶ谷で一番好きな場所は、富士山が見える幡ケ谷跨線橋(こせんきょう:「線路をまたぐ橋」という意味)です。京王線幡ヶ谷駅と笹塚駅の間に架かる橋で、タイシンの校舎から3分かからないところにあります。タイシンの校舎を出て左に曲がり、甲州街道に架かる歩道橋を渡って、左に曲がってすぐのところにあります。

幡ヶ谷跨線橋の上からは、天気が良く、空気が澄んでいる日には、地下から登ってきて、目の前を通り過ぎ、やがては西の地平線に点となって消えていく京王線とともに富士山を眺めることができます。特に夕暮れ時は、富士山や鉄道愛好家の方々がカメラや三脚を持ってやってきて、橋を占領?していることもあり、通るのに困ることもあるほどです。ネットで「幡ヶ谷・富士山」で調べると、すぐ出てきますので、興味のある方は調べてみてください。掲載されている写真は望遠レンズで撮影された写りの良い写真ばかりで、実際肉眼ではそれほど大きくは見えませんが、それでも「こんなところから、こんなにきれいに富士山が見えるの⁉」と驚かれるかもしれません。
休みの日以外、私は毎日この跨線橋を渡るのですが、そのたびに「今日は富士山を拝めるといいな」と期待しながら階段を上ります。母方の曽祖父が東京麻布で戦前(太平洋戦争前)、富士講の先達(信仰+登山案内+運営のリーダー)をしていたこともあるからかもしれませんが、私は富士山を見ると、それだけでなんだか心が晴れやかになるのです。富士講とは、富士山を崇拝する庶民が組織した講社で、仲間同士で資金を積み立てて、代表者たちが富士山へ登拝(登山参拝)することを中心とした民間信仰集団のことです。 江戸では「八百八講」といわれるほど多くの講が存在し、富士山信仰が庶民文化として大きく広がっていたそうです。戦前の東京やその周辺地域(埼玉・千葉・神奈川)でも富士講は都市の庶民信仰として生き続け、講社の活動・富士塚の維持・登拝行事が継続していた、と言われています。富士塚とは、富士山をかたどった人工の小山であり、本物の富士に登拝ができない人々が、その代わりに登った信仰の場で、江戸〜戦前の東京を中心に多数築かれました。「お富士さん」と呼ばれ、親しまれていたようです。
富士塚は戦後以降、消滅の一途を辿っていたのですが、2013年に富士山が世界遺産の「文化遺産」として登録されたのを契機に、その文化的価値が再評価されるようになりました。
幡ヶ谷から2駅離れた明大前駅から、歩いて5分ほどのところに有名なお富士さんがあります。「松原富士」または「松原のお富士さん」と呼ばれ、親しまれている富士塚です。

この富士塚は富士講系教派神道である富士道神道扶桑教の神社の境内にあります。建てられたのがいつかは定かでなく、元は芝神明町(港区浜松町)にあったものが、1919年(大正8年)に今の地に移転されたそうです。1945年(昭和20年)5月の空襲で罹災し、取り壊しを余儀なくされましたが、その後70年経った2015年今の姿に建て直されました。「最新の」富士塚です。今の高さ3.7mですが、以前のものは約10mもあり、その大きさからも信仰の対象として認知されていたことが推察できます。再建されたのは世界遺産登録の2年後です。姿を消しつつあった富士山信仰、富士講再評価が背景にあってのことだろうと思います。今の松原富士は見て、拝むことができるだけで、実際に登ることはできません。東京都内に現存する富士塚で登ることができる富士塚は、10に満たないといいます。千駄ヶ谷にある鳩森神社内にある富士塚、「千駄ヶ谷富士」はその数少ないものの一つです。1923年(大正12年)の関東大震災後に修復はされてはいますが、1789年(寛政元年)に作られた最も古いものとされています。

私は大学受験の際、一浪していますが、通っていた予備校の別館校舎が鳩森神社近くの国立能楽堂の裏手にありました。授業の休み時間に、鳩森神社には何度か足を運んだ覚えはありますが、富士塚の記憶はまったく残っていません。関心がないと、視界に入っていても「見えて」いないんですね。
今回初めて千駄ヶ谷富士に登拝しましたが、岩もごつごつしていて、急勾配な箇所も多く、また雨も降っていて滑り易かったので、高さ約6mの富士に登るのにえらく苦労しました。(数週間前から持病の坐骨神経痛が悪化して、前日鍼灸整骨院で治療を受けてきたばかりだったので、腰をぎくっとやりはしないかとおっかなびっくりの登拝でもありました。)富士山のミニチュア版だけあって、何合目とか表示もあり、頂上の奥宮の近くには、金明水と銀明水の井戸もありました。(金明水・銀明水は富士山山頂の溶岩の間から湧き出る“霊水”で、古くから信仰の対象とされてきた湧水です。)また、7合目の洞窟には江戸時代の富士講の指導者として名高い食行身禄(じきぎょうみろく)の像を祀る小さな洞窟もありました。
実際の富士登拝とは比べものにならないのは言うまでもないことなのですが、富士塚登拝にはまた別の趣があって、これはこれで良いものだと思いました。毎年6月3日には例祭があり、ご神職さんと参加者が一緒に「懺悔、懺悔、六根清浄(さんげ、さんげ、ろっこんしょうじょう)」を唱えながら登る催しもあるそうです。「六根清浄」の「六根」とは、人間が外界と接する六つの感覚器官、目(見る)、耳(聞く)、鼻(嗅ぐ)、舌(味わう)、身(触れる)、意(心・思考)を指します。これらは欲望や迷いの原因になるとされ、 富士講の人たちは礼拝鈴を鳴らし、この祈りの言葉を唱え、心身を清めながら、富士山を登拝するのです。曽祖父・祖父が生前やっていたことを、富士塚とはいえ、真似事でもやってみたい思いがあるので、いつか参加してみたいと思います。今回はいい富士登山でした。なんだか腰の痛みも退いたような感じで、足取り軽く帰途につきました。
お富士さんも悪くないですが、はるか遠くに、小さく見えるものであっても、やはり本物はいいです。タイシン本校舎に通学している皆さん、勉強や実技がうまくいかなくて、心が晴れないときなど、幡ヶ谷の富士を見に行ってみてはいかがでしょうか。ただし、よく見えるか見えないかは運次第なので、悪しからず。




